kaigonoki’s diary

えがおの高齢者を増やす介護士

親子の絆を紡ぐ、親父のわら納豆

今週のお題「納豆」

私が大好きな納豆、それは親父が作っていたわら納豆です。

親父が40代からわら納豆作りを始めたその瞬間から、私たち親子の絆がさらに深まったことを感じます。元々納豆好きだった親父は、兼業農家として稲作を中心に大豆も栽培しており、その大豆を使って納豆づくりを始めました。そして、その納豆は一味違う、大粒の大豆で作られていたのです。

 

親父のわら納豆の材料は、大粒の大豆、稲のわら、そして塩。こだわりの材料と手間暇をかけた製法が、私たちの口に一口運ばれるたびに感じられるのです。作り方もシンプルで、それが親父の特別な味わいを引き立てています。

 

まず、大豆を水に浸して一晩置きます。この一晩の間に、大豆は水を吸収し、ふっくらと膨らみます。そして、大豆を洗って水気を切り、薪ストーブを使って鉄鍋で炊き上げます。炊き上がった大豆は、粗熱が取れるまで冷まし、その後、わらに大豆を包みます。ここで、塩をまぶすのです。そして、大豆とわらを発泡スチロール箱に入れ、密封します。そのまま、箱を常温で2日ほど置いて発酵させるのです。

 

この工程で、わらから発せられる微生物が大豆に働きかけ、独自の風味と食感を生み出します。親父のわら納豆は、この発酵プロセスが、ただの納豆とは一線を画す秘密の要因なのです。

 

そして、食べごろになったら、その美味しさが詰まった密封容器に入れて冷蔵庫で保存します。この保存方法で、2〜3日を目安に食べきるようにしました。それにしても、このわら納豆は、家の中に入れると一瞬で香りが広がり、食卓を彩ります。

 

わたしの大好きな食べ方は、大根おろしと母親がお手製の赤みそを少し入れて味をつけた納豆です。この組み合わせが、親子の絆を感じる瞬間のひとつです。大根おろしの清涼感と、赤みその辛味が、わら納豆のまろやかな旨みを引き立て、口の中で織りなす味わいは、何度食べても飽きることがありません。


親父のわら納豆は、私たちにとって単なる食べ物を超えて、親子の絆を築く大切な要素となっています。親父の情熱と手間暇が、これほど美味しい納豆を生み出すことにつながり、その味わいは私たち家族にとって、特別な思い出を紡ぐ一部となっています。

 

親父は、毎回納豆作りに取り組む際、私たちにも手伝いを頼んできました。大豆を洗ったり、わらに包む手伝いから始まり、塩をまぶす作業にも参加させてくれました。その中で、親父との会話や助け合いの瞬間が、親子の絆をより強固なものにしていったのです。

 

わら納豆作りは、私たちが家族として協力し合い、愛情を分かち合う機会ともなりました。毎回の納豆作りは、家族全員が一堂に会し、笑顔や思い出がつくられる瞬間なのです。

 

そして、親父のわら納豆が私たちの食卓に並ぶと、感謝の気持ちが湧き上がります。親父の情熱と努力が、私たちの日常に温かさと幸福をもたらすのです。

 

この納豆の物語を振り返ると、親子の絆と愛情が食べ物を通じて深まり、家族の大切な瞬間が紡がれたことが分かります。親父のわら納豆は、そのままの味わいと思い出を次世代に継承する架け橋となっています。

 

親父のわら納豆は、単なる食べ物ではなく、親子の絆や家族の結びつきを象徴する存在です。この特別な納豆は、私たちの心に永遠に刻み、親父との素晴らしい思い出を伝える手段となっています。そのため、この特別な食べ物に込められた意味を大切にし、親父との関係をさらに深めるために、私たちは日々このわら納豆を楽しんでいます。

 

この納豆を通じて学んだことのひとつは、家族との結びつきを育むことは、手間暇をかけた作業や共同作業を通じて強化されることです。親父のわら納豆作りは、私たちに協力、感謝、そして愛情を教えてくれたのです。

 

また、親父の情熱と努力を通じて、私たちは大切なことを学びました。何事も丹念に取り組み、努力を続けることが、素晴らしい結果を生み出すことを示してくれた親父の姿勢は、私たちにとっての手本となっています。

 

親父のわら納豆を通じて、私たちは食べ物が単なる栄養摂取手段だけでなく、家族との絆を深め、愛情を表現する方法でもあることを学びました。そのため、このわら納豆は私たちにとって、愛情と感謝が詰まった食べ物となり、食事の時間が特別な瞬間になっています。

 

親父のわら納豆物語は、親子の絆や家族の結びつきを称賛し、感謝の気持ちを表すための物語です。親父の情熱と手間暇が生み出す特別な納豆は、私たちにとっての宝物です。

 

家族は互いに支え合い、共に成長し、愛情を分かち合う存在です。そして、食事は家族が一堂に会し、日々の喜びや困難を共有する場でもあります。親父のわら納豆は、この家族の結びつきを強調し、その大切さを再確認させてくれる存在なのです。

現在親父は92歳で、作り方さえ分からなくなりましたが、私の記憶にはしっかりと生きています。

 

「親父、おいしいわら納豆を作ってくれて本当にありがとう」。

最後まで読んでいただきありがとうございます。