人には、どうしても叶えたいと願うことがあります。
「もっと元気になってほしい」
「もう一度、笑顔を見たい」
「なんとか、この時間が長く続いてほしい」
私が働いている老人ホームでは、そんな願いを胸に秘めて日々を過ごしている方がたくさんいます。
入居されている方も、ご家族も、そして職員である私たちも。
けれど、願いというのは、不思議なもので、強く求めるほど現実がそれに追いつかないことがあります。
一生懸命にケアをしても、病状は進むときは進みます。
どれだけ励ましても、元気が戻らない日もあります。
それは時に、無力感を伴います。
「願うだけでは足りないのか」と、ため息をつきたくなる瞬間です。
願いが「祈り」に変わる瞬間
そんな中で、ある方のことを思い出します。
その方は90歳を超えても、とてもおしゃれで、髪型にもこだわりを持っていた女性でした。
しかし、持病が悪化し、だんだんとベッドで過ごす時間が長くなっていきました。
私たち職員も「少しでも楽しく過ごしてほしい」と願っていました。
でも、ある日を境に、その願い方が変わったのです。
それは「元気になってほしい」という願いから、「どうか、この方が苦しまないように」という祈りに変わった瞬間でした。
願いは、自分の期待や欲求が色濃く混ざります。
「こうなってほしい」「こうあるべきだ」という形があり、それに向かって現実を動かそうとします。
一方、祈りは、その人のありのままを受け入れた上で、そっと寄り添うようなものです。
そこには「自分のため」より「相手のため」が強くなります。
不思議な出来事
その方の容態が安定しない日が続いていたある日、私は夜勤でその方のそばにいました。
小さな声で、「ありがとう」と言われたのです。
特別なケアをしたわけでもなく、ただ手を握っていただけでした。
翌日、ご家族が面会に来られました。
お孫さんがピアノを弾いた動画を見せると、その方は久しぶりに大きく笑ったのです。
その笑顔は、それまで私がどんなに「笑ってほしい」と願っても見られなかったものでした。
私は、この時に思いました。
願いが叶ったのではなく、「祈り」が届いたのだと。
無理に元気になってほしいと押しつけるのではなく、「今、この瞬間が穏やかでありますように」という祈りが、笑顔という形で返ってきたのかもしれません。
願いと祈りの違い
願いと祈りは似ていますが、本質は違います。
願いは、自分の心の中で描く「未来の形」を現実に引き寄せたいという力。
祈りは、目の前の現実を受け入れながらも、その人の幸せや安らぎを純粋に思う気持ち。
介護の現場では、この「祈り」の感覚が大切だと感じます。
願いだけでは、うまくいかないことが多いからです。
特に相手の体や心の変化が止められないとき、願いは無力さや焦りに変わってしまいます。
でも、祈りはその状況の中でも形を変えて届きます。
私自身の変化
介護士として働き始めたころ、私は「もっと元気に」「もっとできることを増やしてあげたい」という気持ちでいっぱいでした。
それ自体は悪いことではないけれど、相手にとっては時に負担になることもあると知りました。
「もっと頑張れ」というプレッシャーに感じさせてしまうことがあるのです。
それに気づいてから、私は願いの奥にある「本当に相手のためになる気持ち」を見つめるようになりました。
すると、私の中の焦りが少しずつ消え、関わり方が変わりました。
以前よりも、相手の小さな表情やしぐさに気づけるようになったのです。
祈りが叶う瞬間
祈りは、必ずしも自分の思った通りの形で叶うわけではありません。
でも、不思議と「そうなってよかった」と思える形で現れることがあります。
例えば、ある方の最後の数日間。
病状が進んで、会話が難しくなっても、目を見て微笑んでくれる瞬間がありました。
その表情を見た時、「もう十分だ」と思えたのです。
私の中で「もっと元気に」という願いは消えて、「ありがとう、穏やかでいてくれて」という祈りが満ちていました。
その瞬間こそが、私にとっての“祈りが叶った時”でした。
読者のあなたへ
もし今、何かを強く願っていて、それがなかなか叶わず苦しいなら、少し立ち止まってみてください。
願いを捨てる必要はありませんが、その願いを「祈り」に変えることはできます。
「こうなってほしい」ではなく、「今、この人が少しでも楽で、心安らかでありますように」と。
祈りは、不思議と相手にも、自分にも優しい気持ちを運んでくれます。
そして、時には形を変えて、思ってもみなかった形で叶うことがあります。
介護の現場で、それを何度も目の当たりにしてきました。
願いが祈りに代わるとき、人はもっと深くつながれるのだと思います。
最後までお読みいただきありがとうございます。