kaigonoki’s diary

えがおの高齢者を増やす介護士

立ち止まり悩むが、自分という人間が正直分からない

 

日々、ご高齢の方々のケアをしながら、笑顔になってもらえるように心を尽くす仕事です。

 

けれども、ふと立ち止まり、自分という人間を見つめようとすると、何かがぼんやりと曖昧で、正直なところ「自分が何者なのか分からない」と感じることがあります。

 

そんな気持ちになったのは、いつからだったのでしょうか。

 

仕事に追われ、目の前の入居者様のことを優先し、自分のことは後回しにするうちに、私の「私らしさ」はどこかへ置き忘れてしまったのかもしれません。

介護士という役割の中で、「良い介護士でありたい」「優しく、温かく接しなければならない」「辛い顔を見せてはいけない」と、自分に求める理想がどんどん積み重なり、気づけばそれに押しつぶされそうになっていました。

 

介護士の仕事はやりがいがあります。入居者様が笑顔になったり、「ありがとう」と言ってくれたりするたびに、「この仕事をしていて良かった」と思えます。

 

でも、同時に「私は本当にこの仕事に向いているのだろうか」と自問することもあります。

 

介護士としての自分と、本当の自分

職場では、常に誰かのために動き続けています。排泄介助、食事介助、入浴介助、レクリエーションの準備、夜勤での見守り…。どれも入居者様の生活を支える大切な仕事ですが、それと同時に、「私はどこにいるのだろう」と思うことがあります。

 

本当の私は、仕事の中にどれくらいいるのだろう。優しく接しているとき、それは本当の私なのか、それとも「介護士としての私」なのか。入居者様の前で明るく振る舞いながらも、心のどこかで「これが私の本当の姿?」と疑問に思うこともあります。

 

例えば、入居者様のご家族から「いつもありがとうございます」と感謝されることがあります。でも、私は「本当に私は役に立てているのだろうか?」と感じることもあるのです。

 

介護の仕事は、目に見える成果が出にくい仕事です。どんなに頑張っても、認知症の進行を止めることはできないし、入居者様の身体機能が回復するわけでもありません。

 

時には、「こんなに頑張っているのに、何も変わらない」と無力感に襲われることもあります。

 

そんなとき、「私って何者なんだろう?」という疑問がふと心に浮かびます。

 

自分を見失いそうになるとき

介護の仕事は、やりがいと同時に、精神的にも肉体的にも負担が大きい仕事です。時には、入居者様から心ない言葉をかけられることもあります。

 

「何をするんだ!」「あっちへ行け!」と拒絶されることもあれば、手を振り払われたり、大声で怒鳴られたりすることもあります。

 

もちろん、入居者様に悪気がないことは分かっています。認知症の影響や、その方の不安や混乱が原因であることも理解しています。でも、それでも心が傷つくことがあります。

 

そんな日が続くと、「私は一体、何のためにここにいるのだろう」と考えてしまいます。

 

私はただの「介護士」なのか? それとも、もっと他の何者かになれるのか? 自分という存在が仕事に飲み込まれてしまいそうになることがあるのです。

 

仕事が終わって家に帰ると、何もする気が起きない日もあります。テレビをつけても、ぼんやりと眺めるだけ。

 

休みの日には、何かをしたいと思いながらも、結局ベッドから動けずに1日が終わってしまうこともあります。

 

「私って、何が好きだったんだっけ?」
「私って、どんなことに喜びを感じる人間だったっけ?」

 

そんなふうに、自分自身のことが分からなくなる瞬間があります。

 

それでも、私がここにいる理由

それでも、不思議なことに、「もう辞めたい」と思うことはほとんどありません。

 

どんなに辛い日があっても、入居者様の笑顔を見ると、「また頑張ろう」と思える自分がいます。

 

ある日、認知症の進行が進んで、普段はあまり会話ができなくなっていた入居者様が、私の手を握ってこう言いました。

 

「いつも、ありがとうね」

 

たった一言でした。でも、その言葉を聞いた瞬間、胸がいっぱいになりました。

 

私は、自分の存在意義を見失いそうになることがあるけれど、こうして誰かの役に立てているのなら、それだけで十分なのかもしれないと思いました。

 

「自分が分からない」ということを受け入れる

きっと、介護士に限らず、誰しも「自分が分からない」と感じることがあるのではないでしょうか。

 

社会の中で、家族の中で、職場の中で、それぞれの役割を果たすうちに、「自分は何者なのか」という問いが生まれることは、決して珍しいことではないのだと思います。

 

でも、もしかすると、「自分を完全に理解すること」なんて、一生かかってもできないのかもしれません。

 

私たちは、日々変化する存在です。昨日の自分と今日の自分は違うし、明日の自分はまた新しい何かを感じているかもしれません。

 

だから、「分からない自分」を受け入れることも、大切なのではないかと思うのです。

 

立ち止まりながらも、歩き続ける

私は、これからも介護士として働き続けると思います。悩みながら、迷いながら、それでも目の前の入居者様と向き合っていきたいと思っています。

 

「自分が分からない」と感じることは、決して悪いことではないのかもしれません。むしろ、それは「もっと自分を知ろうとする心のサイン」なのかもしれません。

 

だから、立ち止まりながらも、私はこれからも自分自身を探し続けたいと思います。

 

そして、目の前の小さな「ありがとう」や「笑顔」を大切にしながら、少しずつでも前に進んでいけたらと思います。

 

もしかしたら、あなたも同じように「自分が分からない」と悩んでいるかもしれません。でも、大丈夫です。一緒に、少しずつ、自分を見つけていきましょう。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。