あのとき、自分がされた言葉に傷ついた。
あの態度が嫌だった。
もう、あんな思いはしたくない――そう思ったはずだったのに。
いつの間にか、私自身が、誰かに同じことをしてしまっていた。
そのことに気づいた瞬間、心の奥にチクリとした痛みが走る。
「ごめんね」と、言えるだろうか。
「そんなつもりはなかった」と、言い訳してしまいたくなる自分もいる。
介護の現場にいると、日々、人と人との関係の中で自分の行動が問われます。
入居者様との関わりはもちろん、同僚や上司との関係、家族との関係。
そのどれもが繊細で、だからこそ、ちょっとした言葉や態度が思いがけず誰かを傷つけてしまうことがある。
私にも、忘れられない体験があります。
まだ介護の仕事を始めたばかりの頃。
指導してくれていた先輩に、ちょっとした失敗を冷たく指摘されたことがありました。
「だから言ったでしょ?」というその一言。
責めるような口調ではなかったかもしれません。
でも、当時の私にはその言葉が深く刺さって、「私ってダメなんだ」と強く思い込んでしまった。
あのときの苦しさ、胸の奥の居心地の悪さ、消えない悔しさ。
私はずっと覚えているつもりでした。
…でもある日、ふと気づいたのです。自分が、後輩に同じような言葉をかけてしまっていたことに。
「ああ、それね、前にも言ったと思うけど…」
口に出したその瞬間、かつて自分が受けたあの一言とそっくりだったことに気づいて、ぞっとしました。
私がされたことを、私はしてしまった。
心では「悪気はなかった」と思っていたとしても、受け取る側にとっては関係のないことです。
自分が嫌だったことを、他の人にしてしまうこと。
これは私たち人間の、弱さのひとつかもしれません。
人は「経験を乗り越えた」と感じたとき、かつての痛みを薄めてしまうことがあります。
「自分は乗り越えたから、あの程度のことは大したことない」と、知らず知らずのうちに思ってしまう。
でも、痛みの質や深さは人それぞれ違います。
私にとって乗り越えられたことでも、他の誰かにとっては大きな壁かもしれない。
そしてもうひとつ。
「されたこと」は記憶に残っていても、「してしまったこと」には気づきにくいということ。
嫌なことをされたとき、人は強く記憶に焼きつけます。
でも、自分が誰かに嫌なことをしてしまった場面は、記憶に残すのが難しい。
なぜなら、私たちは自分を「そんなに悪い人間ではない」と思いたいからです。
自分の中の「悪い部分」と向き合うのは、怖いし、つらい。
できれば気づかないままでいたい。
だからこそ、無意識のうちに誰かを傷つけてしまうことがあるのだと思います。
では、そんなとき、どうすればいいのでしょうか。
完璧な人間になろうとする必要はないと思います。
大切なのは、「あ、私いま、あのときと同じことをしてしまった」と気づいたときに、
そこで立ち止まって、自分に正直になること。
そして、もし勇気が出せるなら、「ごめんね」と伝えること。
それが難しければ、次から気をつけようと心に誓うだけでもいい。
自分の中の弱さを見つけたことは、恥ではなく、成長への第一歩なのだから。
介護士という仕事は、人の生活に深く関わる仕事です。
相手が高齢者であれ、認知症の方であれ、支援をする私たちが「力を持っている側」になる場面が多い。
だからこそ、何気ない言葉や態度が、その人にとって大きな意味を持ってしまうこともあります。
ときには、自分の正しさや効率を優先したくなる瞬間もあります。
でも、そんなときにこそ、ふと立ち止まって、
「私がこれをされたら、どう感じるだろう?」と考えてみる。
その問いかけが、自分自身を守り、他者との関係をより優しいものにしてくれます。
私たちは、過ちを犯さないことではなく、
過ちに気づいたときにどう向き合うかで、人としての深さが問われるのだと思います。
もし、あなたが「やってしまった…」と落ち込んでいるなら、どうか自分を責めすぎないでください。
気づいたその瞬間から、やり直すことはできます。
謝ることも、言葉をかけ直すことも、沈黙の中で心を整えることも、すべて「やり直し」の一歩です。
人は誰しも、完璧ではない。
でも、だからこそ、やさしさを思い出せる。
自分の弱さに気づいたとき、それが他の誰かを思いやるきっかけになる。
今日も、介護の現場で、たくさんのやりとりが交わされていきます。
どうかその中に、ほんの少しでも「やさしさの気づき」が増えていきますように。
最後までお読みいただきありがとうございます。