kaigonoki’s diary

えがおの高齢者を増やす介護士

誰かを思う心が自分を支えている

介護の仕事をしていると、「支える側」と「支えられる側」という言葉の境界が、だんだん曖昧になっていくのを感じます。

 

最初は、私が入居者様を支えているのだと思っていました。身体介助をして、声をかけて、不安を取り除く。それが私の役目で、それ以上でもそれ以下でもないと思っていたのです。

 

でも、ある時ふと気づきました。


本当に支えられているのは、私のほうなのではないか、と。

 

介護の現場は、決してきれいごとだけでは成り立ちません。


時間に追われ、思うようにいかない日もある。何度説明しても伝わらず、同じ言葉を繰り返し、心がすり減ってしまう瞬間もあります。笑顔でいなければと思うほど、笑顔が遠くなる日もありました。

 

「向いていないのかもしれない」


「私じゃなくてもいいのではないか」

 

そんな弱い気持ちが、胸の奥で何度も顔を出します。

 

それでも、現場に立ち続けてこられた理由は何だろうと考えたとき、思い浮かぶのはいつも、入居者様の顔です。


不安そうに私の手を握るその温もり。


名前を呼ぶと、ゆっくりこちらを見て微笑むその表情。


「今日もありがとうね」と、何気なくかけられる一言。

 

その一つひとつが、私の心を静かに支えてきました。

 

誰かを思う心というのは、不思議な力を持っています。


自分のことで精一杯なときでも、「あの人が待っている」と思うと、もう一歩だけ踏み出せる。

 

疲れていても、「今日はあの方、元気かな」と考えると、自然と足が前に出る。

 

誰かの存在が、自分の存在理由になることがあるのだと、この仕事を通して知りました。

 

入居者様は、たくさんのものを失ってきた人たちです。


健康だった体、自由に動ける時間、役割としての仕事。中には、大切な人との別れを何度も経験してきた方もいます。それでも、その方たちは生きています。今日という一日を、懸命に。

 

そんな姿を見ていると、簡単に投げ出していい仕事なんてないのだと思わされます。

 

ある入居者様が、こんなことを言ってくれました。


「あなたが来てくれると、今日は大丈夫だと思えるの」

 

その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が熱くなりました。


私は特別なことをしたわけではありません。ただ、いつも通り接していただけです。それでも、誰かにとっての「大丈夫」になれている。その事実が、私の心を強くしました。

 

介護士も人間です。
落ち込む日も、弱くなる日もあります。


「誰かのために」と言いながら、本当は自分が救われたいと思っていることもあるでしょう。

 

でも、それでいいのだと思います。誰かを思う心は、決して一方通行ではありません。思えば思うほど、自分の中にも温かいものが残るのです。

 

この仕事をしていると、「完璧じゃなくていい」と思えるようになりました。


できないことがあっても、思う心さえあれば、人は人を支えられる。うまく言葉にできなくても、手を握るだけで伝わる想いがある。そう教えてもらった気がします。

 

もし今、この記事を読んでいるあなたが、疲れていたり、心が折れそうになっていたりするなら、どうか思い出してほしい。あなたが誰かを思ってきたこと。その気持ちは、決して無駄ではないということを。

 

誰かを思う心は、見えにくくて、評価されにくくて、ときには報われないこともあります。それでも、その心があるからこそ、今日も生きていける。少なくとも私は、そうやって支えられてきました。

 

明日もまた、現場に立ちます。


不安がゼロになることはないでしょう。
でも、誰かを思う心だけは、胸に抱いていたい。

 

それが、私を支えてくれているのだから。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。