kaigonoki’s diary

えがおの高齢者を増やす介護士

あるべき姿より、ありたい姿

介護士なんだから、もっとこうあるべきだ」


「年を重ねた人は、穏やかで感謝を忘れずにあるべき」


「施設はこうでなければいけない」


そんな“あるべき姿”に、私たちは日々囲まれています。

けれど、私はふと思うのです。


その“あるべき姿”に縛られすぎると、大切なものが見えなくなってしまうのではないか――と。

 

私は老人ホームで介護士として働いています。
日々、高齢の入居者様たちと向き合う中で、たくさんの「こうあるべき」を感じる場面があります。


けれど、その“あるべき”がいつも正しいとは限らない。
むしろ私は、「ありたい姿」を大切にしたいと思うようになりました。

 

今日はそんな想いを、少し綴らせてください。

 

「正しさ」が人を苦しめるとき

「ちゃんとしなきゃ」


「迷惑をかけないように」


「人に頼らず、自分のことは自分で」

 

そうやって自分を律してきた人生の先輩たちが、介護の現場には多くいらっしゃいます。


自分が人の手を借りることに、強い罪悪感を抱えていたり、
「私は迷惑な存在ではないか」と、自分を責めるように口にされる方も少なくありません。

 

でも、私は思うんです。


「できないことがある」ことは、悪いことではない。
「人に頼る」ことは、恥ずかしいことじゃない。

 

むしろ、それこそが“人間らしさ”であり、誰かとつながって生きていくことの自然な形だと思うのです。

 

“あるべき姿”に必死でしがみついて苦しんでいる人を目の前にすると、
私は「そんなに頑張らなくていいよ」とそっと声をかけたくなります。

 

「ありたい姿」に光を当てる

一方で、「私、こうなりたいの」と、目を輝かせて話してくださる入居者様もいます。

 

ある女性は、昔からお料理が大好きだったそうで、
「また皆にお味噌汁を作ってあげたいの」と語ってくれました。

 

もう火は使えないし、台所にも自由に立てるわけではない。
でも私たちスタッフは、なんとか“その想い”を叶えたいと考えました。

 

そして、簡易キッチンで安全にできるように配慮して、野菜を切ってもらい、だしを一緒に取って、味噌をといてもらって――


「私の味、覚えててね」と、笑顔で配ってくれた味噌汁は、涙が出るほど優しい味がしました。

 

「もう年だから」「施設だから」「危ないから」と、“あるべき制限”をかけてしまえば、この時間は生まれなかった。


でも、彼女の「ありたい姿」に光を当ててみたら、こんなにも温かい場面が生まれたのです。

 

介護士も「あるべき姿」に疲れることがある

実は私自身も、「介護士としてこうあるべき」という思いに疲れたことがあります。

 

いつも笑顔で、優しく、冷静で、的確で、感情的にならず――


理想の介護士像はたくさんあるけれど、人間だから、そんなに完璧にいられるわけがないんです。

 

心が追いつかない日もあるし、疲れて投げ出したくなる日もある。


「私、こんなんで介護士名乗ってていいのかな…」と、自己嫌悪になることもありました。

 

でも、そんなとき先輩に言われたんです。

 

介護士はね、ただ優しいだけじゃなくていいの。人間らしくていいのよ。大事なのは、その人とどう向き合いたいかを忘れないこと」

 

――その言葉に、私は救われました。

 

私は、「完璧な介護士」になりたいわけじゃない。


「その人に寄り添いたい介護士」でいたい。
それが、私の“ありたい姿”なんだと、あらためて気づけた瞬間でした。

 

「らしくあれる場所」を一緒につくりたい

高齢になるということは、「これまでの肩書き」や「役割」から解放されると同時に、
「自分は何者か」という問いに、改めて向き合う時間なのかもしれません。

 

でもだからこそ、


「私はこうありたい」


「私はこう生きたい」


そんな想いを大切にできる場所が、必要なんじゃないかと思うんです。

 

そしてその想いに寄り添い、形にしていくのが、私たち介護士の役割ではないでしょうか。

 

・大好きだった詩をまた書きたいという人と一緒にノートを開く


・一度も着たことがない洋服を着てみたいという願いを応援する


・誰かのために、もう一度何かをしたいという想いに力を貸す

 

“あるべき高齢者像”ではなく、その人自身が“ありたい姿”を叶えられる場所。
そんな「その人らしくあれる居場所」を、一緒に作っていきたいと思うのです。

 

さいごに:あなたの“ありたい姿”はなんですか?

社会の中には、「こうあるべき」が溢れています。


仕事の中にも、家庭の中にも、人間関係の中にも、
「正しさ」や「常識」や「期待」が、無意識に私たちを縛ってきます。

 

けれど、ふと立ち止まって考えてみてほしいんです。


「自分はどう“ありたい”のか」を。

 

あなたが本当に望んでいる生き方は、どんな姿ですか?


どんな一日を過ごしたとき、「あぁ、私らしいな」と思えますか?

 

“あるべき姿”は、時に人を苦しめます。
でも“ありたい姿”は、人を動かし、周囲も巻き込んで幸せを広げていきます。

 

私は今日も、入居者様の「ありたい姿」に出会いたい。
そして、自分自身の「ありたい介護士像」に、誇りを持って向き合っていきたいと思っています。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。