「もっとちゃんとできたはず」
「なんであんな言い方をしてしまったんだろう」
「自分の甘さが出てしまった…」
私たち介護士という仕事をしていると、1日の終わりに何かしら“反省材料”が浮かぶことってありませんか?
入居者様に対する接し方、チーム内の連携、作業の優先順位、声のかけ方…
あぁ、あそこはこうすればよかったな、と帰り道に自分を責めながら歩くことも少なくありません。
私は老人ホームで働く介護士です。
この仕事に就いて20年以上経ちましたが、未だに「今日の自分は大丈夫だったか」と毎日振り返っています。
それはきっと、誰かにとっての「安心」を預かっている仕事だからこそ。
一人ひとりの小さな変化に気づき、寄り添うことが求められるこの職業には、想像以上に繊細な感受性が必要です。
でもその分、自分のふるまいや言葉のひとつひとつに対して、必要以上に「ダメ出し」をしてしまいがちでもあります。
◆ 「反省」と「否定」は違うもの
ある日、後輩の介護士がこう言ってきました。
「先輩、私…入居者様にちょっと強い口調で注意しちゃって。そのあとずっと自分を責めちゃって、眠れなかったんです」
その言葉を聞いたとき、私は思わずこう返しました。
「それって、優しさだよ。強く言ってしまったことを後悔できるって、ちゃんと心が動いてるってことじゃない?」
彼女は少し驚いた顔をしてから、「そんなふうに考えたことなかったです」と言いました。
多くの人は、「反省する=ダメだった自分を否定すること」だと思ってしまっています。
でも、反省とは本来「次によりよくするために自分を振り返る行為」です。
決して、自分の価値を下げるための時間ではありません。
私自身も、介護の現場で幾度となく「やってしまった…」と頭を抱えてきました。
ですが、そのたびに反省だけで終わってしまうと、どんどん自信を失っていってしまうのです。
「私はいつもダメな介護士だ」「向いてないかもしれない」
そんなふうに思い込むようになると、笑顔も減り、入居者様との距離も自然と遠くなってしまいます。
◆ 「あのとき頑張った自分」にも目を向ける
反省する前に、あるいは反省と同時に、私は自分に問いかけるようにしています。
「でも、あのとき私はどうしようとしていた?」
そう問い直すと、ミスの裏には「良かれと思ってやったこと」や「一生懸命だった思い」が必ずあるのです。
🌕声かけを急いだのは、他の入居者様のトイレコールが鳴っていたから
🌕少し強く言ってしまったのは、転倒の危険を防ぎたかったから
🌕表情がこわばっていたのは、自分自身が焦っていたから
それらは「結果」としては失敗だったかもしれない。
でも「動機」や「想い」まで否定する必要はありません。
「よし、じゃあ今度は同じ想いを、もっと穏やかに届けられるようにしよう」
そうやって、自分を一度肯定してから反省するほうが、心に余裕が生まれ、前向きな気持ちで次の一歩を踏み出せます。
◆ 肯定することは、甘やかすことではない
時々、「そんなふうに自分を甘やかしていては成長できない」と言う人もいます。
たしかに、過ちを見て見ぬふりするのは違う。
でも、「自分を責めなければ反省できない」わけではありません。
むしろ、自分に厳しすぎると、反省が「恐れ」や「萎縮」につながっていきます。
介護の現場で一番大切なのは、目の前の人にまっすぐ向き合うこと。
そのためには、自分自身をある程度「整った状態」に保っておく必要があります。
自分の心がガタガタになっていたら、相手の変化に気づく余裕も生まれません。
◆ 今日も頑張った自分に、ひとことかけてあげよう
私は帰り道に心が落ち込んでいるとき、こうつぶやくようにしています。
「今日もよくやったよ」
たったそれだけでも、自分の存在を少しだけ肯定できる気がします。
ミスもしたけど、全部が悪かったわけじゃない。
たとえば、朝の挨拶は笑顔でできたとか、おむつ交換を少しスムーズにできるようになったとか、
些細なことでも「できたこと」に目を向けると、自分への信頼を取り戻せます。
◆ さいごに
介護士という仕事は、本当に尊い仕事だと思います。
でも同時に、自分を見失いやすい仕事でもあります。
「反省」も大事。
でも、「肯定」も同じくらい大事。
自分の心がすり減る前に、自分にやさしい言葉をかけてあげてください。
人にやさしくしたいと願うあなたが、自分にやさしくすることを、どうか後回しにしないでください。
今日もあなたは、誰かの安心を支えていました。
それだけで、十分に価値のある1日だったはずです。
最後までお読みいただきありがとうございます。