kaigonoki’s diary

えがおの高齢者を増やす介護士

失敗の定義は人それぞれ

「失敗した……」と落ち込んだ日の帰り道、ふと自問しました。


「でも、本当にこれは“失敗”だったのだろうか?」

 

私は老人ホームで介護士として働いています。日々、入居者様のケアをしながら、スタッフ同士で連携を取り合い、小さなことから大きなことまで、たくさんの判断をしています。


しかし、どれだけ丁寧に行動しても「完璧」と言い切れる瞬間は少なく、時には「失敗」と感じることもあります。

 

たとえば、ある日、入居者様の居室に届ける薬の時間を数分遅れてしまいました。


その方にすぐ謝罪し、薬を手渡すと、優しく「気にしなくていいのよ」と言ってくださいました。


でも私はその後もしばらく自分を責めてしまいました。「数分遅れたくらいで…」と周囲は言ってくれる。でも、私にとっては「やってはいけないこと」だった。

 

この時、気づいたのです。


「失敗」って、人によって感じ方も、重みも、全然違うのだと。

 

他人の“失敗”は、あなたの“成長”かもしれない

介護の現場では、「うまくできなかったこと」が明確に見える場面がたくさんあります。


おむつ交換のタイミングがずれてしまったり、声かけがうまく伝わらなかったり、ナースコールにすぐ応えられなかったり……。


けれど、その“できなかった”背景には、必ず「理由」があり、「努力」や「工夫」もあったはずなんです。

 

新人スタッフの中には、ちょっとしたミスで深く落ち込む方もいます。
でも私は、心の中でこうつぶやくようにしています。

 

「それは、あなたにとって“失敗”かもしれない。でも、私から見れば“チャレンジ”だったよ」と。

 

失敗に見えるものの多くは、「試行錯誤の証」であり、「前に進もうとした足跡」なんです。


誰かの“失敗”を、私たちはもう少し温かく見守っていい。
そして、自分の“失敗”に対しても、もう少し優しくなっていい。

 

入居者様が教えてくれたこと

ある入居者様との会話で、こんなことがありました。

 

「若い頃、商売をしていたんだけどね、何度も倒産しかけてね。でも私は“失敗した”とは思っていないのよ。あの時の苦労があったから、今の自分があるの。」

 

この言葉に、私は深く心を動かされました。


人生を振り返ったとき、「あれは失敗だった」と断言できる人なんて、きっといないのかもしれません。


それどころか、「あれがあったから今がある」と、時間を経て受け止め方が変わることのほうが多いのではないでしょうか。

 

失敗は、終わりではなく「途中の景色」。


それがその人の人生にどう影響するかは、ずっと後にならなければわからないものです。

 

自分で「失敗」と決めつけないで

介護の現場で働いていると、自分の働きが人の生活に直結しているという責任感を、強く強く感じます。


だからこそ、「もっとできたんじゃないか」と、自分に厳しくなりすぎることもあります。

 

けれど、「失敗だった」と自分でレッテルを貼ってしまう前に、こう問いかけてみてほしいのです。

 

「私はその時、何を大事にしようとしていたのか?」


「その選択の裏には、どんな思いがあったのか?」

 

たとえば、Aさんのケアを優先したせいで、Bさんを待たせてしまったとします。
その判断が「失敗」かどうかは、結果だけでは語れません。


Aさんが急変しそうだったから、あるいはBさんにはいつも「あと5分なら待てる」と信頼されていたから、という背景があったかもしれない。

 

私たちの判断は、いつも「今できる最善」を選んでいるはずです。


それが思うような結果につながらなくても、それを「失敗」として切り捨てるのは、もったいないと思うのです。

 

人は、「自分なりに頑張ったこと」をちゃんと覚えている

失敗を恐れて立ち止まると、挑戦もできなくなってしまいます。
でも、振り返ってみてください。


自分のこれまでを支えてきたのは、「うまくいったこと」よりも、「うまくいかなかったけれど諦めなかったこと」ではなかったでしょうか。

 

介護の仕事は、毎日が学びの連続です。


マニュアル通りにいかないことが多くて、感情が揺れる場面もたくさんあります。
けれど、その中でも「自分なりにやってみよう」と踏み出した経験は、心に残ります。


結果だけではなく、その「過程」こそが、人としての厚みになっていくのだと思います。

 

おわりに:あなたの“失敗”は、誰かの希望になるかもしれない

もしあなたが今、「失敗してしまった」と落ち込んでいるのなら、そっと自分に問いかけてみてください。


「それは本当に“失敗”だったの?」と。

 

失敗の定義は、人それぞれです。


あなたにとっての「つまずき」が、誰かにとっては「気づき」になることだってあります。


そして、あなた自身にとっても、数年後には「あの経験があってよかった」と思えるようになるかもしれません。

 

どうか、自分の経験を否定しないで。


今日も誰かのそばで、あなたは懸命に生きています。
その一歩一歩が、確かに意味のあるものであることを、私は信じています。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。