老人ホームで働いていると、日々さまざまな「言葉」に出会います。
それは、はっきりとした声で伝えられる言葉もあれば、かすかな表情や手の震えに込められた「言葉にならない言葉」の場合もあります。
介護という仕事をしていると、つくづく思うのです。人と人との間に交わされる言葉には、辞書に載っている意味だけでは説明しきれない温度や記憶があるのだと。
🌕 言葉が届かないときのもどかしさ
認知症の方と向き合っていると、こちらの呼びかけがうまく届かないことがあります。
私が「ご飯の時間ですよ」と言っても、その方には「ご飯」という響きがピンとこない瞬間がある。逆に、入居者様が口にした言葉が、私にはすぐに理解できないことも多いのです。
「ほら、あれを取ってきて」
「あれ」とは何なのか。入居者様にとっては明確でも、私には見えない。
このすれ違いに直面すると、介護の難しさを痛感します。けれど、そこから先が介護士の腕の見せどころ。
相手の目線を追い、指先の動きに注目し、表情を読み取る。そうして「ああ、この方はお茶が飲みたいのだな」と気づけたとき、ただの言葉以上の理解がそこに生まれます。
🌕 あなたにしか理解できない言葉
入居者様一人ひとりには、人生の積み重ねがあります。方言、昔よく通った場所の呼び名、家族との間でしか通じない合図のような言葉。それは「あなたにしか理解できない言葉」です。
たとえば、ある入居者様が「こけし」と口にされました。周囲の職員は意味が分からず戸惑いましたが、ご家族に伺うと「亡くなった奥様のことを、冗談まじりにそう呼んでいた」ことが分かりました。
つまり、その方にとって「こけし」という言葉は、単なる人形のことではなく、愛情と記憶が詰まった大切な呼び名だったのです。
その背景を知ってから、「こけし」と言われるたびに、私の中でも奥様への愛情を感じ取れるようになりました。
まさに、ご本人とご家族にしか理解できない特別な言葉を、私たち介護士も少しずつ共有させてもらった瞬間でした。
🌕 私にしか理解できない言葉
一方で、「私にしか理解できない言葉」もあります。
長い時間をかけて築いてきた信頼関係の中で、入居者様が私にだけ見せる表情や言葉のニュアンス。それは、他の職員には伝わらないこともあるのです。
ある認知症の方は、しばしば意味の分からない言葉を繰り返されました。他の職員は聞き流してしまうこともありましたが、私は毎日の会話の積み重ねから、その言葉が「トイレに行きたい」というサインであることに気づきました。
それからは、その言葉を耳にしたらすぐに対応できるようになり、ご本人も安心した表情を浮かべるようになりました。
これは私とその方との間にだけ通じる暗号のようなもので、「私にしか理解できない言葉」でした。
🌕 言葉の奥にある心
言葉とは不思議なものです。通じ合えれば温かさを運び、すれ違えば孤独を生む。特に介護の現場では、言葉が通じないときに「この方は私のことを理解してくれない」と入居者様が感じてしまうこともあります。
しかし、言葉そのものだけでなく、その奥にある「心」を理解しようとする姿勢が大切なのだと思います。たとえ言葉が不完全でも、「この人は自分を分かろうとしてくれている」と感じていただければ、それが安心につながるのです。
私たち介護士は、相手の声にならない想いを「言葉」に変換しようと日々努力しています。その過程で、相手にしか理解できない言葉を学び、そして私にしか理解できない言葉を積み重ねていくのです。
🌕 読者のみなさんへ
皆さんの周りにも、「あなただけが分かる言葉」があるのではないでしょうか。家族の呼び名、友人との合図、夫婦だけの冗談。外から見れば意味不明でも、その言葉を耳にするだけで心が温かくなる瞬間があるはずです。
また、仕事や人間関係の中で、「私にしか理解できない」と感じる言葉もあるでしょう。それは決して孤立ではなく、人と人との間に築かれた唯一無二の絆の証だと思うのです。
🌕 おわりに
介護の現場では、日々多くの言葉が交わされます。しかしその中で本当に心に残るのは、「あなたにしか理解できない言葉」と「私にしか理解できない言葉」が出会った瞬間です。
その瞬間、人と人との距離はぐっと近づきます。
それは辞書には載らないけれど、人生に深く刻まれる言葉です。
私たちは、そのかけがえのない言葉を拾い集めながら、一人ひとりの人生に寄り添っていきたいと願っています。
最後までお読みいただきありがとうございます。