老人ホームで働く介護士として日々入居者様と向き合っていると、たくさんの感情が湧き上がってきます。
うれしい気持ちもあれば、時に切なくなったり、無力感を覚えたりすることもあります。その中でも、私自身が長く介護の現場にいてよく感じるのは「ありがとう」という言葉を求めてしまう自分との付き合い方です。
「介護はありがとうをもらえる仕事」という言葉を耳にすることがあります。確かに入居者様やご家族から感謝の言葉をいただいたとき、心からうれしくなり、疲れが吹き飛ぶこともあります。
しかし一方で、すべての場面で「ありがとう」と言っていただけるわけではありません。むしろ、感謝の言葉がなく、当たり前のように介助を受けているように見えることの方が多いかもしれません。
そのとき、心のどこかで「せっかく頑張っているのに、報われていないのではないか」と感じてしまうことがあります。
けれど、介護の本当の喜びは「ありがとう」という言葉の有無だけに左右されるものではない、そう気づいたときに、仕事の意味がより深く感じられるようになりました。
「ありがとう」がなくても伝わるもの
ある日、私は一人の入居者様の食事介助をしていました。その方は認知症が進んでいて、言葉でのコミュニケーションがほとんど難しい状態でした。表情も乏しく、私が声をかけても反応が返ってくることは少なかったのです。
けれど、スプーンを口に運ぶとき、その方の目がほんの少し柔らかくなる瞬間がありました。その変化はとても小さく、見逃してしまいそうなほどでしたが、私にははっきりと伝わりました。「ああ、この方は今、安心しているんだな」と。
そのとき、言葉がなくても心はちゃんと届いていることに気づきました。
「ありがとう」という声は聞こえなくても、まなざしや仕草の中に確かに感謝や安らぎが表れているのです。それを感じ取れる瞬間こそ、介護士としての大きな喜びではないでしょうか。
介護は「結果」より「過程」にある
介護をしていると、「きちんとできたか」「感謝されたか」という結果に目を向けてしまいがちです。しかし、介護はむしろ「その過程」にこそ意味があるのだと思います。
たとえば入浴介助。入居者様が安心して湯船に浸かり、表情が少し和らぐ。その過程に関わり、一緒に心地よさを共有することができる。これ自体がすでに喜びなのです。
トイレ誘導や着替えの介助なども同じです。ときには「いやだ」「やめて」と拒否されることもあります。感謝どころか怒られてしまうこともあるでしょう。
それでも、最後に少しでも身なりが整い、表情が穏やかになった瞬間があれば、その過程の中に「支える意味」があると感じます。
「ありがとう」と言ってもらえなかったとしても、入居者様の一日を少しでも安心に導けたのなら、それ自体が喜びに変わる。そう考えると、介護は結果を求めすぎず、過程を味わうことが大切だと改めて思います。
喜びは「気づく力」によって深まる
介護の現場には、目立たないけれど心が温まる瞬間がたくさんあります。
🌕転倒せずに一日を過ごせたこと
🌕食欲が少し戻り、昨日より多く食べられたこと
🌕久しぶりに小さな声で歌を口ずさんでくれたこと
🌕私の手をぎゅっと握り返してくれたこと
これらは誰かに大きく褒められることでもなく、記録に残らない小さな出来事かもしれません。けれど、その小さな変化に気づけること自体が、介護士にとっての喜びです。
「ありがとう」と言葉で受け取れなくても、その人が少し安心した、少し快適になった、そうした変化を感じ取れるとき、心に静かな満足感が広がります。まるで小さな光を見つけたような気持ちになるのです。
喜びは「与えること」から生まれる
人はどうしても「もらうこと」で喜びを感じがちです。褒められる、感謝される、評価される――そうした「もらう喜び」ももちろん大切です。
しかし、介護の仕事に携わる中で強く感じるのは、「与えること」そのものが喜びになるということです。
入居者様に寄り添い、少しでも安心を届ける。その姿を見て同僚やご家族が安心する。そうした循環は、必ず自分の心にも返ってきます。
「ありがとう」と言われなくても、誰かのために行動できた自分を誇りに思うことができる。これが、介護士の喜びの本質ではないでしょうか。
自分自身への「ありがとう」
介護の現場で働いていると、どうしても「もっとできたはず」「感謝されていない」という思いにとらわれがちです。そんなとき私は、自分自身に「ありがとう」と声をかけるようにしています。
🌕今日も一日、笑顔で接することができた。
🌕忙しい中でも、声をかけることを忘れなかった。
🌕入居者様の不安を和らげることができた。
それらは小さなことかもしれませんが、自分がしたことを認め、自分に感謝することで心が軽くなります。介護は「他者のために働く」仕事ですが、自分自身を大切にできることもまた大事なのです。
おわりに
「ありがとう」という言葉は、確かに人を幸せにしてくれる魔法のような響きを持っています。しかし、介護士として働く中で学んだのは、言葉がなくても感謝や喜びは確かに存在しているということです。
入居者様の目の輝きや小さな仕草、穏やかな呼吸や安心した表情――それらのすべてが「ありがとう」の代わりとなり、私たちの心を温めてくれます。
そして何より、介護を通じて誰かの役に立てる自分自身に「ありがとう」と伝えることで、日々の仕事はさらに意味深いものになります。
「ありがとう」と言ってもらえなくても喜びを感じられる介護。そこに気づけるとき、この仕事の尊さと奥深さを実感します。
最後までお読みいただきありがとうございます。