kaigonoki’s diary

えがおの高齢者を増やす介護士

必要なものが必要な時に必要な分与えられると感じるとき

老人ホームで介護士として働いていると、「必要なものが、必要な時に、必要な分だけ与えられること」が、どれほど人の心を満たすのかを日々実感します。

 

これは入居者様にとっても、私たち介護士にとっても、またご家族にとっても同じこと。人が安心して生きていくために欠かせない要素なのだと、現場に立つたびに感じます。

 

入居者様にとっての「必要なもの」

たとえば、ある入居者様が「喉が渇いた」とおっしゃったとき。ただ水をお持ちするのではなく、「今どんな飲み物が欲しいのか」「温かいものか、冷たいものか」「一口でいいのか、ゆっくり飲みたいのか」を丁寧に伺うことが大切です。

 

実際にあった出来事ですが、夏の暑い日に「水をください」と言われ、氷の入った冷たいお水をお持ちしたところ、表情がぱっと明るくなり、「これが欲しかったのよ」と笑顔を見せてくださいました。その瞬間、「必要なものを必要な時に渡せた」と感じ、私自身も心から嬉しくなりました。

 

逆に、必要以上のものをお渡ししたとき、かえって戸惑われることもあります。食欲がない時に山盛りの食事を差し出されたら、誰だって気持ちが重くなってしまうでしょう。だからこそ「必要な分だけ」という視点がとても大切になります。

 

ご家族にとっての「必要な安心」

入居者様のご家族も、日々たくさんの不安を抱えています。「母はちゃんと食べられているだろうか」「父は夜眠れているだろうか」と、離れているからこそ細かいことが気になるのです。

 

そんなとき、私たちがご家族にお伝えする言葉や情報が「必要な安心」になります。

 

食事量を写真で見せたり、日中のご様子を具体的に伝えたりすることで、「ああ、ちゃんと世話をしてもらえている」と感じていただけます。それは、ご家族にとっての「必要な時に必要な分の支え」なのだと思います。

 

あるご家族から「毎日のように電話してすみません」と言われたことがあります。でも私は「どうぞ遠慮なく」とお伝えしました。なぜなら、そのご家族にとっては、その日の声がけが「必要」だからです。

 

情報を伝えることは、ただの報告ではなく、安心を分け合う大切なケアの一部なのだと気づかされました。

 

職員にとっての「必要な支え」

介護士自身もまた、「必要なもの」を必要な時に与えられる存在であると同時に、与えられるべき存在です。

 

忙しさや責任の重さから、時に心が折れそうになることもあります。そんなとき、同僚からの「ありがとう」「手伝おうか」という一言が、驚くほど大きな力になります。

 

夜勤明けで疲れ切っていたときに、同僚が「コーヒーいれるよ」と声をかけてくれました。ただの一杯のコーヒーですが、その温かさが心にしみて、「ああ、私も支えられているんだ」と実感しました。

 

介護はチームで行うものだからこそ、お互いにとっての「必要な時に必要な分の支え」を分かち合うことが大事なのです。

 

「必要」を見極めることの難しさ

とはいえ、「必要なもの」を見極めるのは簡単ではありません。言葉で表現できる方ばかりではなく、認知症の症状がある方は特に「本当に必要なもの」が表に出にくいことがあります。

 

「お腹がすいた」とおっしゃる方が、実は喉が渇いているだけだったり、「帰りたい」と訴える方が、安心感や居場所を求めているだけだったりすることもあります。

 

その背景にある思いを汲み取り、行動や表情の小さな変化に気づくこと。それこそが介護士の大切な役割なのだと思います。

 

介護の現場から学んだこと

私が現場で学んだのは、「必要なもの」とは必ずしも物やサービスだけではない、ということです。それは時に言葉であり、安心感であり、気持ちを受け止めてもらえる空間でもあります。

 

🌕入居者様にとっては、一口のお茶や、そっと背中に手を添える安心感。


🌕ご家族にとっては、短い報告の一言や笑顔の写真。


🌕職員同士にとっては、「大丈夫?」の声かけや小さな気遣い。

 

こうした小さな積み重ねが、「必要な時に必要な分」を満たしていくのだと思います。

 

おわりに

「必要なものが必要な時に必要な分与えられると感じるとき」――それは、人が安心して生きていくための土台であり、介護の現場における私たちの使命でもあります。

 

私たち介護士は、完璧ではありません。ときには間違えることも、うまく応えられないこともあります。

 

それでも、相手の「必要」を知ろうと耳を傾け、寄り添う気持ちを持ち続けること。それこそが、介護の仕事の本質なのではないかと思います。

 

そして、この思いは介護の場だけでなく、家庭や職場、社会全体に共通するものだと感じます。

 

誰もが「必要なものを、必要な時に、必要な分だけ」受け取れる社会であれば、人はもっと安心して、優しく生きられるのではないでしょうか。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。